
闘病日記は両刃の剣
探してみるとわかりますが、がんにはさまざまな発生部位やステージがあり、自分と似たケースの情報は実は多くありません。
前回の記事で「公表することで仲間を見つける」ことの意義について触れましたが、やはり言い出しにくさや、他人のケースが自分と違うことも多く、ネットの情報に頼る場面も多くなります。
そこでよく目にするのが「闘病日記」です。実際にがんになった方の生々しい治療記録は、ときに覚悟を決めさせてくれたり、将来のイメージを持たせてくれたりと、有益に働くこともあります。
しかし、残念ながら、闘病日記の筆者がその後亡くなるケースもあります。
あくまで私見ですが、「何か記録を残したい」という気持ちが芽生える時点で、病状が深刻である可能性は高いと感じています。
特に、元々何かを発信していた人よりも、急に闘病日記を始めた人のほうがその後亡くなるリスクは高いように見受けられます。
「何のために生きてきたのか」「何か人の役に立ちたい」「何かを遺したい」という動機に突き動かされて書かれる場合、悲しいことに、最終的には筆者が亡くなってしまうことも少なくありません。実際、私もそうしたブログをいくつか目にしました。
だいたい、しばらく更新が止まり、最後に残された家族がお礼の言葉を書いて締めくくる、という形です。
自分もそうなってしまうのではないかという恐怖が残ります。
先に旅立ってしまった先輩という意味では、心から労りとねぎらいの言葉をかけたい気持ちになりますが、なんとも言えない感情が残るのです。
実際に、何人かのがんサバイバーの方々も「闘病日記はあまり読まないほうがいい」という意見を持っていました。
そもそもなんでがんになったのか?
調べれば調べるほど、「自分ががんになった理由」はわからなくなってきます。
食生活なのか、生活習慣なのか、過労やストレスなのか……。
「人間の体には常にがん細胞ができていて、免疫がそれをやっつけている」という話は、耳にしたことがあるかもしれません。
なのに、毎日酒を飲み、タバコを吸い、脂っこいものばかり食べている人が全く病気にならなかったり、健康に気をつかっていた人ががんになってしまったり……。
調べれば調べるほど、「例外」が多すぎて、だんだん調べるのが馬鹿らしくなってきます。
それもそのはずで、「なぜ自分ががんになったのか?」という問いに対して、現代医学は完全な答えをまだ持っていないのです。
■ まだよくわかってないこと■
- なぜ同じ環境でもがんになる人と、ならない人がいるのか?
→ 遺伝と環境の複雑な絡み合いで、個体差が大きすぎる。 - がんが「なぜ」転移するのか?
→ メカニズムの一部はわかってきているが、全体像は不明。 - なぜ一部のがんは自然に消えるのか?
→ 稀に免疫が勝つことがあるが、詳細は不明。 - がん幹細胞の存在や役割
→ 自己再生できる特別な細胞ががんの中に存在するらしいが、議論は続いている。 - 治療への反応が人によって違いすぎる理由
→ 遺伝的な体質、がん細胞の性質、免疫の違いなどが絡んでいるが、すべては解明されていない。
だからこそ、ネット上には怪しい情報もあふれていますし、「自分が納得できる答え」を持つことも簡単ではありません。
プロである医師にしっかり相談できるかどうかも、とても大切なポイントです。
ただし、自分の期待していた答えをくれない医師=ダメな医師というわけではありません。
説明が不十分だったり、一方的に話す医師に当たってしまった場合は、セカンドオピニオンを取るという選択肢を持っておくのもよいでしょう。